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白峰地域特有の生活文化
『出作り』に欠かせない『焼畑-ナギハタ-』
白峰は石川県最奥の地域であり、白山に最も近い地域で、
平坦な土地が少ない中山間地域であることから、稲作は普及せずに、雑穀を主食としていました。
白山の奥山に居を構え、養蚕や炭焼き等を生業とし、
食料を確保するために焼畑で山地を農地に変えて主穀となるヒエ・アワ等を育て、
自然の恵みを巧みに利用する自給自足『出作り』が主な生活様式でした。
1874年の記録では、総戸数729戸のうち永住・季節出作り※合わせて429戸、67%の家が出作りを行っていました。しかし、出作りは生活様式や経済活動の変化により1975年頃には廃れてしまいました。
※「永住出作り」=1年を通じて山中で生活、「季節出作り」=冬季には母村に帰る
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土地を焼いて、作物を栽培する
白山麓では、出作りと共に昭和30年代まで焼畑が盛んにおこなわれていました。
焼畑は、山地斜面に生育する樹木等を伐採し、次いで火入れを行うことによって、
元の林を耕地化し、作物を栽培する農業です。
毎年新たな林を切り開き、焼畑地が次々と移動すること、
一か所の畑で4~5年間続けて異なる作物を栽培することが大きな特徴となっています。
まず、森林や草地の一部を伐採し、その後、その木や草を乾燥させ、火をつけて焼きます。
この焼却作業で出る灰は、土壌の肥料として利用。人工物の肥料は使いません。
焼いた土地に作物を植えます。灰に含まれるミネラルが土壌を肥沃にし、作物が育ちやすくなります。
焼畑では、同じ土地でしばらく栽培を続けることはなく、
一定期間作物を栽培した後、その土地は30年間休みます。
こうすることで、休養地として、地力が回復するのを待ちます。
焼畑は、「出作り」と呼ばれる農場経営システムにおける食糧生産手段の一つとして、
重要な地位を占めてきました。

広大な山を使い倒す焼畑
-敷地内に34箇所の焼畑農地が必要-
数年間作付される作物と順番は定型化されていました。
火入れ1年目はヒエ、2年目にアワ、3年目にダイズ、4年目にアズキ。
5年目には休閑地となります。
焼畑を安定して続けていくためには、休閑年30年と作付け年4年、
計34箇所の焼畑適地が必要となります。
崖があり、岩場があり、湿地のある山では、どこでも焼畑ができるわけではなく、
34箇所の農地を抱える1軒家の敷地面積は広大で、
焼畑適地に点在するようにそれそれの家庭が山中に居を構えて耕作していました。

奥山人の知恵と技が必要な焼畑
どこにでもできるわけがない焼畑。焼くだけでなく、
その準備やメンテナスに知恵と技術が必要となります。
日当たりや地力などの要素を見分け、焼畑に適した場所『ムツシ』探し
焼くための木や枝を刈る『芝刈り』
根や作物がストレスなく育つようにしっかり行う『耕し』
作物がすくすく育つように行う『間引き』
それぞれの工程に手を抜くことなく、大事に山の恵を育て上げていきます。
焼畑伝承活動
近年、焼畑は全国的に減少していますが、
サステナブルな農法に注目も集まりつつあります。
白峰では、地域内外の大学生の学びのプログラムの一環として
焼畑の作業の一部を大学生とともに行いながら継承活動を
行なっています。
実際に焼畑を行っていた伝承者は90代でありながら、
活動に協力してくださっています。
伝承者による『ななぎ大根が美味しかったから、またやりたい』という言葉には、
焼畑が歴史的な農法であることだけではない人間の根本的な継承の意味をも感じます。

幻のななぎ大根
焼畑で育てた大根を、白峰では『ななぎ大根』と呼びます。
現在では継承グループによる生産に限られているため、非常に貴重です。
一般で購入できないことはもちろん、地域内でさえ滅多に食べられない、
幻の大根なのです。
食味調査では、通常の大根と比べて、うまみと塩味が少し強く、
水分が少ないことから身が引き締まった硬さがあるとわかりました。


白峰でのななぎ大根の食べ方
ななぎ大根は煮やすいと言われており、冬前に収穫した大根は煮しめにして食べたり、
ニシンと一緒に塩のみで1ヶ月漬け込むニシン大根が愛されています。

おろしうどん

報恩講料理
にしん大根

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