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わさび田
-WASABIDA-
白山麓の白峰地区では、粘り気が強く辛みの少ないモチワサビと呼ばれるわさびが育つ。
1866(慶応2)年の史料にはわさびの記載があり、白峰固有の作物である。
白山奥山人がわさび田栽培を選んだ理由
わさび生育の生命線は、ミネラルが多くて汚染されてない養水であり、白峰地域での栽培には奥山に出向く必要がありました。
ですが、それでもわさびは単価が高く、かさばらず、輸送にも耐えられる効率の良い稼ぎであったため、
奥山人は生業としていたとされます。
白山わさび(在来品種)は、大正末期には衰退気味でしたが、江戸時代末期・明治時代初期にはすでに産地化し、
年間500~600貫を金沢を中心とした消費地に出荷していました。
『水があればハリがない、ハリがあれば、水がない』
傾斜が厳しい奥山で、湧水・緩斜斜地の両方を満たす適地が少ないという白峰の人の言葉にあるように、
ワサビ田栽培のための地探しは困難であった中、白峰には数箇所ワサビ田が営まれてきました。
標高1000Mを超える白山のわさび栽培では、河川の水ではなく湧き水が使用されます。
これは白山の地質構造と深く関わりがあり、地下水が湧き出ることに関係しています。
『奥わさび』『中わさび』『口わさび』と小地名があったと白峰村史に記され、
白峰では何代にも渡って続けられてきたことから、地名が残っていると推測できます。
『中わさび』と呼ばれる場所では今もわさび田が続けられています。
聖水が作る山の宝石
白山の白峰で育てられていた「白山わさび」は、
国内のわさびのどの品種とも異なる独自のDNA型を持つ貴重な在来種。
山の雪解け水と標高の高さによる冷涼な気候のもと、
2年半から3年かけてじっくり成長するため、
太くてしっかりとした根茎と豊かな香り、憧れと粘り気を持ちます。
京都の中山再次郎の紀行文上には、
白山ワサビの味が格別だったとの記述もあるほど美味しいとされていました。
寒冷地ならではの強い辛みと爽やかな後味が特徴で、
白山から湧き出る雑菌の一切ない養水を活用して栽培されます。
生産量が少なく、白山の養分をたっぷり含んだ水が生む宝石といえます。
ですが、白山わさびは現在数が減少し、個人所有のわさび田でしか見られないことで
普及に至らず、白峰の中でも幻のわさびとされています。

通常の2~3倍長く、じっくり育てる白山わさび田栽培
白山の水温は、7~8℃であるとされています。ワサビは8℃以下になると、成長が鈍化されるとされ、
白山わさびは最低限の水温に近いこととなります。
根雪の影響もあるため、出荷に3年かかるとされ、温暖地域の2~3倍の期間が必要です。
ですが、それでも白峰では現金が稼げるかけがえのない商品作物であったため、無限の労力を費やしてでも、
湧き水を見つければ、わさび田を造成してきました。

道の整備
標高1000m以上の場所に位置するわさび田。わさびを植えるために田と道の除雪が必須。
洗いと客土
収穫済みの空地に根付けするための準備。
トラクターで耕し、沈殿した泥土や枯葉を洗い流す。その後新しい砂を客土にして田を改良する。
根付け
実生苗を移入する。
除草・病害対策
貯水池でイワナを飼っているため、薬剤は
一切使わない。
寒冷紗架け
寒冷紗架けとは、寒冷紗をトンネル状に被せて、寒さや霜、強い日光、雨や風から作物を守る栽培方法。わさびは半陰・半照を好む。
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人力で造成されてきたワサビ田
奥山に限りなく近いわさび田の造成には、
機械での田造成は困難でした。
ある1つのわさび田では、
4万5000個~5万個の石を渓谷で選び、
山まで担ぎ上げていたことも推測されるなど、
奥山人の肉体的・精神的な特質が見られます。
ワサビ田継承活動 -杉田家ワサビ田にて-
ワサビ田は減少しつつある中、
地元出身の若者やツアー造成業者、移住者の共同体で
継承活動を2024年に開始しました。
継承グループがしているのは『中わさび』の標高1040~1100mに位置する
出作り方式で継承されてきたわさび田です。
このワサビ田は元来、渓流式が選定されていましたが、
前管理者によって機械を使って管理や造成ができる地沢式に改良されました。
改良を行なった前所管理者は、現ワサビ漬やセンナ漬といったわさびの加工食品も
作りあげ、白山麓の温泉旅館や白峰地域内で食べつなぐことに貢献されていました。
また、ワサビ田に併設される管理小屋も前管理者が大工に頼らずに
再建されたもので、奥山人らしい技術力と知恵の賜物です。

白峰でのワサビの食べ方
地域で古くから食べ注がれている伝統食堅豆腐の刺身や、岩魚の刺身などに。
堅豆腐の刺身


いわなの刺身
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